Vol.39 素晴らしき腐れ縁 - ハプニングバー

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Vol.39 素晴らしき腐れ縁

7月7日、自宅付近のマンションにスタッフたちと一緒に入っていったのは、広田レオナ(58)だった。」

 

こんな冒頭文ではじまる記事を、某スキャンダル系の雑誌がネット上に配信しておりました。

 

そして、この日……少しだけ遅れてマンションに到着したのは、黒い帽子にマスク姿の元夫・吹越満さん(56)──今年6月2日に肺がんの切除手術を受けた広田さんとは離婚後も関係は良好で、昨年8月にはYouTubeで、一緒に激辛カップ麺にチャレンジする動画も配信していると聞きます。

 

前出の某雑誌記者が「吹越さんがやってきたのは、元妻の療養生活を心配してのことなのか?」と、広田さんが代表を務める事務所に問い合わせたところ、ご本人から連絡があり、こう回答した…のだそう。

 

「家族やスタッフたちに支えられて、療養を続けています。その日は、たまたま仕事で吹越さんとご一緒しました」

 

「吹越さんはアーティスト、そして私は事務所の代表という立場ですので、私のほうが吹越さんをサポートする立場にあると思います」

 

「七夕に会ってた? そんなロマンチックなこと、言われるまで考えてもいませんでしたよ(笑)」

 

さて。ここまでをお読みになった時点で、文脈や二人の関係性がイマイチ理解できない御仁も正直なところ、多いのではないでしょうか? 説明を加えましょう。

 

バイプレイヤー的な俳優として多くの作品出演し、その演技力は各方面からも高い評価を受けている吹越さんと、バレエで鍛えたバランスの良いプロポーションを武器とする女優・広田さんは、1994年12月に結婚(当時、吹越は29歳で広田は31歳)。“姉さん女房”となる広田さんは、24歳のときに歯科大大学院生と結婚しており、長男を出産。だが、性格の不一致などからほどなく離婚し、子どもは広田さんが引き取っての再婚──いわゆる「子連れ婚」でありました。

 

「結婚」に対する二人の価値観はじつにユニークで、当初は同居せずに「別居婚」。しかも、「子どもの姓を変えたくない」「広田姓を変えたくない」との理由から、吹越さんが広田姓になるよう“婿養子”として入籍したといいます。

 

しかし、一女をもうけながらも夫婦関係はギクシャクしはじめ2005年12月、結婚生活にピリオドが打たれた。…はずだったのに、離婚後も広田さんが仕事で家を空けたときには、吹越さんが子どもの面倒を見たりして、同時に根気強く復縁のプロポーズ。広田の両親が同居できる二世帯住宅まで建てて、2010年ごろから再度同居生活をスタート。「結婚時よりもナチュラルな会話ができるようになった」と、広田も根負け(?)して、2012年に二度目の結婚を果たします。

 

…にもかかわらず、2016年には再び離婚…とは言え、吹越さんは広田さんが代表を務める芸能事務所に所属しており、広田さんが2018年9月に一般男性と結婚した今でも、おたがいがかけがえのないビジネスパートナーであることに変わりはないようです。

 

なんとも素敵な“腐れ縁”じゃないですか! たとえば、明石家さんまさんと大竹しのぶさんのように「離婚しても仲が良さそうなカップル」にも、男女の仲を超えた信頼関係みたいなものが垣間見られ、それはそれで微笑ましくもあり、羨ましくもあります。

 

けれど、吹越さんと広田さんのように“男と女の業”を払拭しきれず、長年かけて結婚と離婚を繰り返し、ようやくその粘液質な水面が乾きはじめてきた泥沼のごとくな(元)夫婦の生き様にも、いささかの美学をおぼえてやみません。

 

「友だちになった元夫婦」とは微妙に異なる、独特の濃度をこのカップルに感じ取ってしまうのは、さらに、こういうパートナーを“ハプバー”でも見つけたい…と考えてしまうのは、はたしてぼくだけなのでしょうか? もちろん、ご法度である「連絡先の交換」とかは一切ナシで(笑)。いわばベルナルド・ベルトリッチ監督の初期の名作『ラストタンゴ・イン・パリ』のマーロン・ブランドとマリア・シュナイダーみたいな世界観…ですな?