Vol.42 スケボーとハプバー
8月4日に行われた東京五輪の「スケートボード・パーク女子決勝」をたまたまテレビで観ていたとき、ぼくはとあるワンシーンに猛烈な感動をおぼえました。
岡本碧優(みずく)選手が、最終3本目も果敢に難トリックにチャレンジしたものの、惜しくも失敗に終わってしまい(※総合結果は4位)、その場で泣き崩れる。すると、直前まで決勝を戦ってきた各国の選手たちが駆け寄ってきて、彼女を肩車しながらその全力を尽くしたパフォーマンスを称賛し、場内は拍手喝采。岡本選手の表情からも思わず笑みがこぼれて……。
もはや「スポーツの名を借りた国ごとの代理戦争」にも化しつつあるオリンピックの舞台においては奇異に感じる人間模様なのかもしれませんが、ことスケボーの世界では決して珍しくはない光景なのだといいます。
スケートボードに国境はない。もともと国という意識は薄い。プロツアーでも、Xゲームでも、選手は個人で参加する。国歌もなければ国旗もない。国を意識することもない。
スケートボードに順位はない。より上位を目指すのがスポーツだが、スケーターにその意識は薄い。もちろん、結果としてのメダルは求めても、最終目標ではない。岡本は金メダル狙いで大技をやったのではという質問に反論した。「目標は金メダルではなく、自分のルーティンをすることでした。だから、仲間たちはその挑戦をたたえた」
そう! これがスケボーをはじめとするサーフィンやBMXフリースタイルなどの、いわゆる「エクストリームスポーツ」の常態的なスタイルなのです。そして、この素晴らしいカルチャーは、もしかすると“ハプバー”においても共有できる部分が多いのではないでしょうか。
“ハプバー”に国境はもちろんのこと、職種や肩書きもありません。選手(=お客さん)は身ひとつの全裸姿で今宵の宴に参加します。
“ハプバー”には順位もありません。スポーツのように、より上位を目指して争うわけではなく、ときにはパートナーの奪い合いといった小競り合いもなくはないけど、原則としては“参加者全員”がハッピーになれば、それが一番!
とどのつまり、オリンピックが本来大前提としている(はずの)「参加することに意義がある」といったスローガンは、ここ“ハプバー”でも例外なく適用されるべき基本理念だとぼくは思うのですが、いかがでしょう?