Vol.56 セックスの相性について(フィジカル編)
前回のコラムでは「セックスの相性」について、「男女間の潔癖性と道徳観の違い」という視点から論じてみましたが、当然のこと、これらのメンタル面だけではなく、フィジカル面においてもその「良し悪し」を分ける、なんらかの要因が存在するのは間違いありません。
よく「肌が合う」とか「合わない」とかって言い方をしますよね?
比喩じゃない実際的な意味でも、そんなニュアンスを自覚できることはたしかにあると思うんです。しかし、その表現はあまりに感覚に寄りすぎており、「合う肌」と「合わない肌」の違いを具体的に明文化するのは、相当にむずかしい。
「キメが細かい肌質」や「いかにも柔らかそうなプニプニした肌感」の女性に触れたり、抱き合ったりするのは、大半の男性にとって大変気持ちがいいものですが、かといって、サメ肌の女性や筋肉質で脂肪の少ない女性はダメなのか…と、問われたら、(少なくともぼくは)必ずしもそういうわけじゃない。たとえ触感がザラザラであってもガチガチであっても全然かまわない。「肌が合う」といった概念は、そんな単純で表層的な“美肌論”で語り尽くすことなんて、できるはずがないのです。
ぼくは、この「肌が合う・合わない」の分岐点は
「男性器と女性器のサイズの合致」
…が、じつのところかなりのウェイトを占めているのでは…と、にらんでいます。コレがしっくりとハマったとき、「ああ…このヒトとは肌が合うなぁ」と、心底からの実感と快感をおぼえ、その相手にぬかるみのごとくのめり込んでしまう…。
ただ、この「サイズの合致」を、たった一回きりの性交渉、挿入行為でジャッジするのは、いささかせっかちすぎるきらいも…? 最初から「ジャストフィット!」なんてケースはむしろ稀──奇跡的な確率であって、「おたがいのサイズを合致させていく」には、同じ相手と、地道に何度か関係を繰り返す必要がある…と、ぼくは考えます。
ここからは、何の医学的根拠もない、あくまでぼく個人の主観的な推論であることをお断りしておきますが、そのように「地道に何度か関係を繰り返す」ことによって、
ある程度、女性器は男性器に合わせてフォルムを変えていく
…ようなイメージがあるのです。
たとえば、女性はレイプされたとき、「感じているから」では決してなく、「女性器を守るため」に、つまり防衛本能の一環としてバルトリン腺液を分泌する…と聞いたことがあります。そして、これとは逆のパターンで、女性は受け入れたい男性に出会ったとき、幾度かの試行錯誤を経て、やはり本能的に性器をメタモルフォーゼさせるのかもしれません…ね?