Vol.147 ディスコ・カフェバー…そしてカクテル(前編)
まもなく還暦を迎えるぼくは、1960年代の前半に生まれました。
そして、我々世代──すなわち
「バブル前夜(=1980年代)に
多感な10~20代を過ごした者たち」
…があのころの思い出に浸るとき、テッパンとして、つい盛り上がってしまうのが「ディスコ」ネタであります。いささか唐突なのですが、今回は昨今の“ハプバー”にも負けず劣らずと言っても過言ではない「男女の出会いの場」であったこの「ディスコ」について、その思い出を巡らせてみようかと思います。
…とはいえ、さすがにもう30年近くも前のうろ覚えゆえ、誰も彼もが口にする時代考証は案外あやふやだったりするものです。そんなわけで、とりあえずは点在する記憶を整頓し、
「ディスコの歴史」を時系列に沿って振り返ることからはじめてみましょう。
まず、80年代最初のディスコブームは、1980~1984年のムーブメントで、別名「サーファーディスコブーム」とも呼ばれていました。
まだ有名ディスコの数々が新宿や渋谷という従来の繁華街に乱立していたなか、それらとは立地的に孤立した、
『ネペンタ』や『ギゼ』などがあった
六本木スクエアビルは“聖地”とされ、多くの店が
「男性客のみ入店不可」
…を原則的なルールにしておりました。
同伴できるギャル(※当時は若い女性のことをすべてひっくるめて「ギャル」と称していた)がいない男は、エントランス周辺で
「お願い! 一緒に入るだけでいいから!!」
…と強引なナンパに勤しみ、どうにか“カップルの体(てい)”を装って店内に潜入し、チークタイムを過ごせる
新たなギャルを捕獲するため、店内を徘徊しまわっていたものです。
もちろん、独壇場とばかりにモテまくっていたのは、ガングロ・口ヒゲ&長髪マッシュルームカットのサーファーだけ──ゆえに、一度もサーフィンをやったことがないくせに髪型やファッションだけを真似て、傷ひとつないサーフボードを自家用車に乗っけている「シティ・サファー」が大量発生し、『アナーキー』というパンクバンドに
シティサーファー もう 沢山さ♪
シティサーファー 気取りすぎだぜ♪
…などと揶揄されたりもしています。
いずれにしろ、ディスコにおける
「モテる・モテない」のヒエラルキーがやんわりとではありますが、このころから確実に形成されつつあったわけです。
こうした、どこかやさぐれていてアウトローな、しかし、ある意味では牧歌的な佇まいをも残すこれまでのディスコのイメージをガラリと変えたのが、1984~1988年のディスコブーム──曲調はソウルからユーロビートがメインとなり、ここで登場するのが、あの
「マハラジャ」なのでありました。
(※中編へ続く)