Vol.282 良いクズ人間と悪いクズ人間
お笑い芸人界内で昨今、
「クズ芸人」
…というジャンルが確立されつつあるといいます。
お笑いトリオ『安田大サーカス』のクロちゃんに、ピン芸人の狩野英孝さんやヒロコヒーさん、『霜降り明星』の粗品さんや『相席スタート』の山添寛さんや『空気階段』の鈴木もぐらさん…とかがその“成長株”である…のだそう。
彼ら彼女らの「クズ」な要素を形成するのは、おもに
「ギャンブル」
「借金」
「異性関係」
「嘘つき」
…あたりですが、年々と大メディアのコンプライアンス的な縛りが強くなり、不自由さが増す現状下において、なぜあえてそういう風潮に相反する「クズ」なる概念がもてはやされるようになったのでしょう?
たとえば、『空気階段』の鈴木もぐらさんは、とあるトークバラエティ番組に出演した際、こんな自身のクズ・エピソードを語っていました。
(※ギャンブルが好きな理由を問われて)「スポーツは普通にチケット買ったらそれで終わりじゃないですか。でも、競馬とかって観られるプラス勝ってお金が返ってくるっていう可能性があるんで。むしろ増えると言いますか…」
(※「全財産失う可能性もあるわけでしょ?」との質問に対して)「それはまぁ入場料というか…はい」
だが、いっぽうで…初めてできた彼女(=現在の妻)に
「借金があること」
「ネズミしかかからない病気に
かかってしまったこと」
…などを洗いざらい明かしてから交際をスタートし、結婚にまで到ったという、いわゆる微笑ましいエピソードも…?
「クズ芸人」のルーツは、ぼくが(リアルに)知るかぎりだと横山やすし師匠(※ギャンブル好き・タクシー運転手に暴力…etc.)まで遡り…ある意味、ビートたけしさん(※フライデー編集部襲撃事件で傷害罪…etc.)なんかも広義では「クズ芸人」にカテゴライズされるのかもしれませんが、昭和のころはまだ圧倒的な才能が「クズ」の部分を側面へと追いやり、それが笑い話として成立していた、長閑(のどか)な時代でありました。
しかし、令和ともなればそうともいかず、なるほどもぐらさんみたいに「クズ」なラインナップの後(あと)には必ずオチとなる
「いい話」がセットとならなければいけない様子であります。
「クズ芸人」として令和の時代に受け入れられる「クズ」の種類とは、(誤解を恐れずに)ザックリ断言してしまうと
「他人には(致命的な?)
迷惑をかけない(両親は除く)」
…これに尽きるのではないでしょうか。
脱税はアウト、多目的トイレを占有するのもアウト、強引な投資の勧誘もアウト……。あくまで「クズ」を自分(と肉親)の守備範囲内で完結させてこそ、はじめて
「◯◯にだらしない」
…という性格が“売り”となるキャラとなり、
「愛されるクズ芸人」として芸能界で生き残っていくことができるのです。
これはなにも芸人さんの世界にかぎったことではなく、我々一般人のあいだでも、
まろやかにクズな男
…は、確実に(一定数の女性からは)モテます。ただ、
「クズの魅力」というのは、性質として
じわっと沁みてくるもの
…なので、一期一会を原則とする、どちらかといえば瞬発性が重視されがちなここ“ハプバー”においては、あまり前面に押し出すべき要素ではないのかもしれません。