Vol.385 ハプバーで重要なのは「性格」か「声」か?
とある女性向け恋愛系WEBメディアが、
『意外に多い?
男性の声が好きな
声フェチ女性に
対する【男の本音】』
…なるタイトルの記事を配信しておりました。冒頭には、
「男性の顔よりも性格よりも、声を重視するという声フェチな女性って意外と多いですよね。あるいは、今まで全く好みではないと思っていた男性でも、ふとした時にカラオケなどで歌声を聞き、意識し始めることもあるでしょう」
…とのリード文が。ところが、そんな
「声フェチ」
…の女性のことを、男性はあまり理解できないんだとか…。
そのモヤモヤ感の正体とは…同記事によると、おおよそ
以下の二つである…らしい。
・声だけで騒がれても、
なんかからかわれているような
微妙な気持ちになってしまう
・声だけじゃなく
もっと中身(性格?)も
見てほしい
とどのつまり、男性(の多く)は
「男性の魅力の一つとしての
“声” をあまり重要視していない」
…ということであります。でも、
ちょっと待った!
はたして「イイ声」ってヤツは、本当にそこまで
些細な要素でしかないのでしょうか? せいぜいが
「内面」と「外見」の次
…くらいに付け加えられるオマケ的な長所に
すぎないのでしょうか?
私は
「全然違うっしょ!」
…と、猛然なる反論をしたい! むしろ、下手すりゃ「性格」なんぞを凌駕しかねない、強力なアドバンテージにもなりうるのでは…とすら考えます。
女性…いや、人間の好みとは、
「五感」
…のどれかを特化的かつ動物的なかたちで刺激してくるモノであり、その「五つの感覚」のうち、どの「感覚」を上位に持ってくるか……の順番はヒトそれぞれ──あるヒトは「容姿」(=視覚)にこだわり、あるヒトは「体臭」(=嗅覚)にこだわり……また、あるヒトは「声」(=聴覚)にこだわる。もちろん「肌の相性」……いわゆる「抱き心地」のような感覚(=触覚、もしくは味覚?)にこだわるヒトもいるでしょう。
いっぽうの「中身=性格」は、とても脆(もろ)くて儚(はかな)い、じつに曖昧な概念です。たとえば、
「社交家=八方美人」
「優柔不断=慎重」
「毒舌=素直な人」
「頑固=信念を曲げない人」
「浮気癖のある人=好奇心旺盛な人」
…と、捉え方次第で「長所」にも「短所」にも転じていきます。表現を変えれば、
「いったん相手のことを
好きになったら、
どうにでも
好都合な解釈ができる」
…のです。
ぼくは初見で
「なかなか厄介な性格だな…」
…と直感した女性でも、その彼女がなにか
「五感」に訴えかけてくる
絶対的な魅力の持ち主
…ならば、まずはそこに癒されながら、「厄介な性格」の
「厄介」の部分を
「捕捉的な魅力」
…としてポジティブに付け加えていくよう努力します。
逆に、「五感」では生理的に受け入れられない嫌悪を見いだしてしまった女性とは、恋愛関係を持続することができません。しかも、
そういう見極めの基準は、誰もが口にできないだけで、
「あながち少数派でもない」
…と思っています。
そして、「性格」という要素の不安定ぶりは、たとえば、ここ“ハプバー”のような(原則として)一期一会を前提とする場において、
よりいっそうの露骨さを増してきます。
仮に『アグリーアブル』のカウンター席で、
「性格のいいヒト」と
「容姿がタイプなヒト」
「心地よいボイスなヒト」
「そこはかとなくイイ香りがするヒト」
「いかにも非肌っぽいヒト」
…とでは、どっちを選ぶ?
…と、問われれば…答えは火を見るよりも明らか!
「性格」なんて、どーだってよくなくないですか〜?
とくに、照明が暗めに設定されているここ“ハプバー”においては、「容姿」よりも
「心地よいボイス」
…が、思いのほか条件の上のほうに、
少なくともぼくは来たりします。
ちなみに、Gジィさんが大好きな女性の声は宮沢りえさん。彼女の声さえあれば、いくら性格に致命的な難があっても…ここ“ハプバー”では、何度だって余裕で勃起することができるのです。