Vol.432 『木綿のハンカチーフ』について語ろう
申し訳御座いません!
またまた今回も“ハプバー”にはまったく関係ないネタでありまして、けれどGジィさん世代にはグサグサと刺さりまくる、どうしても取り上げておきたい珠玉のネタでもあります!
なので…やはり、せめてカウンター席での話題に困ったときの、
会話のツカミとして使用してくだされば…これ幸いなんでありますm(__)m
1975年に発売されて大ヒットを記録し、数年前にも『エレファントカシマシ』の宮本浩次さんや俳優の橋本愛さんによるカバーが話題となった、歌手・太田裕美さんの代表曲であり、
昭和歌謡の名曲としても知られる
『木綿のハンカチーフ』
…の誕生秘話を、同曲の作詞を担当した作詞家の松本隆さんが、とある大新聞系WEBメディアで語っていたのを発見しました!
松本隆さんとは、
「日本語ロック」
…の草分けとされている伝説のバンド『はっぴぃえんど』でドラムと作詞を担当し、その当時では画期的であった
ダブルミーニング的な手法を歌詞に取り入れ、日本のロック界や歌謡界に大きな影響をもたらしめた
「言葉の魔術師」であります。
とくに、作曲家の(故)筒美京平さんとのコンビは
「最強タッグ」とされ、『木綿のハンカチーフ』以外にも『スニーカーぶる〜す』など、数々のヒット曲を生み出しました。そして、松本さんはインタビュー中で『木綿のハンカチーフ』の制作プロセスを振り返りながら、筒美さんの類稀なる才能について、こう称賛しています。
「京平さんがすごいのは、歌い出しの♪恋人よ ぼくは旅立つ…の最後の『つ』の音階を上げるところ。普通の作曲家はそこまで飛躍しない。天才だと思う。あと、この詞に明るい曲をつくるのもすごい才能。普通ならもっとしっとりした曲にするはずだから」
たしかに『木綿のハンカチーフ』をカラオケで歌うときでも、
いきなりやってくる試練が、この「旅立つ」の
「つ〜♪」
…のパート。ここをどう切り抜けるかが、同楽曲のフル歌唱の
成功・失敗を分けると言っても過言ではありません。
歌い出しのたった4小節目にこうしたアクセントを持ってくるのは、やはり凡夫の成せる技ではない。もちろん、太田裕美さんの「つ〜♪」は完璧で、これをきっかけに太田裕美さんのファンになった男子も当時は少なからず…だったに違いありません。
ちなみに、この『木綿のハンカチーフ』の歌詞を、
かいつまんで説明してしまうと、
「成功を求め、都会へと旅立った男が、徐々に都会の絵の具(=洗礼)に染まりはじめてしまい、田舎に残されて離れ離れとなってしまった素朴な恋人がその煌びやかな変貌ぶりを憂う」
…といった、ある意味救いようのない内容です。
だけど、そんな
「悲しい気分を楽しく歌う」
…日本人にはない感性──まさに三波春夫さんの
『チャンチキおけさ』
…ばりの「ブルースの世界観」(※ぼくはむしろ
サンバ・ボサノヴァの世界観だと解釈しているのですが?)を曲調に取り入れることによって、切なさがよりいっそう際立ってきて…。当時…どころか今でもなかなかお目に(お耳に?)かかれない斬新かつ稀有なアプローチではありませんか!
しかも、松本センセイ曰く、
この哀愁ただようラブストーリーには…なんと!
実在のモデルがいた…とのこと!
「(筒美さんとの)話し合いの中で地方都市の歌を作ろうと。『東京育ちのきみは地方のことを知らないだろう』と言われたりもしたけれど、炭鉱町になじみがある福岡県出身のレコード会社のディレクターをモデルに(歌詞を)書きました」
なるほど!
「東へと向かう列車」
…はボタ山が並ぶ「福岡の炭鉱町」から出発していた…というわけですね。
こうした新たに発覚したシチュエーションを曲中に彩りとして加えてみると…またこれまでとは違った情景と情緒が頭に浮かび心に染みてくる『木綿のハンカチーフ』とは…まごうことなき
「昭和の名曲中の名曲」
…なのであります。もし、ここ『アグリーアブル』にマツさんがカラオケを設置してくださるなら、
今すぐ歌いたいくらいに…???