Vol.542 山下達郎と開き直りとハプバーと…
数ヶ月ほど前、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で、あの(故)ジャニー喜多川氏を擁護するたぐいの発言をし、(本人としては?)思いもよらぬ大炎上の憂き目に合って
しまった山下達郎さん(70)でありますが、ぼくは誰がなんて批判しようとも、この達郎さんの
「浮世離れした
仙人的スタンス」
…が大好きで、あと10年後…いや、5年後の人生の理想像…だとすら考えています。
たとえば、(おそらく)炎上前に『Yahoo !ニュース』オリジナルの企画サイトが配信していた達郎さんのロングインタビューは、全7ページにわたる長文にもかかわらず、途中離脱するスキも与えない、じつに読み応えたっぷりな素晴らしい内容でありました。
とりあえずは、同記事のなかでも、とくにGジィさんの琴線に触れまくった、もはや「格言」とも呼べる名言のいくつかを、以下に紹介してみましょう。
「私はね、極東の片隅のね、日本という国でね、ごく質素にやってきた者なんです。全然メインストリームじゃないんです。10代の時は音楽オタクで、誰も聴かないような音楽を聴いていたんです」
「古き良き懐メロにならないためにはどうしたらいいか。それは、曲、詞よりも編曲なんです。あとは、それを補佐するミュージシャンの優秀な演奏力と、それを録音するエンジニアの力」
「僕の曲は基本的にワンパターンです。好きな響きが少ないので。だから、誇りを持ってワンパターンと言ってます」
「僕ら(歌手)はマイクに乗っける声なので、しゃがれ声でもとっちゃん坊やでも、それも個性になる。人間が肉体的にどこまでやれるかという観点では、歌うことはそれほど長く続けられない場合が多い。だから音楽文化は、比較的若い文化として享受されている。サッカーと同じで、年を重ねて声をちゃんとキープするのは容易ではない。還暦過ぎてどれだけ声を出せるかは、運不運でしかない要素も多い」
「『あれは俺のやりたかったことじゃない』と言って、ヒット曲を歌わない人って多いんですよね。ベストヒット=自分のベストソングじゃないんでしょう。(中略)でも、私は誰が何と言おうと、『クリスマス・イブ』はやめません。夏でもやります。だって、それを聴きに来てくれるお客さんがいるんだもの」
「僕はドメスティックな人間なんで、ハワイとか香港とかマレーシアに行く暇があったら、山形とか秋田のほうがいい。そこで真面目に働いている人々のために、僕は音楽を作ってきたので」
これら一連の引用から共通して、
猛烈に感じ取ることができるのは、
「それなりの年輪と
圧倒的な実績を積み重ねながら、
いまだ第一線で活躍する
大ベテランならではの、
説得力に溢れる
開き直りのようなもの」
…であります。
今年に古希を迎えた現役バリバリの「ポップス職人」から
「僕の曲は基本的にワンパターンです」
「僕はドメスティックな人間なんで〜」
…と淀みなく発言されたら、アラカンに差し掛かった
Gジィさんでも、
「ああ…ワンパターンでもいいんだ」
「英語が苦手でも
日本語さえ美しく喋れたら
大丈夫なんだ…」
…みたいな安堵感と勇気がもらえます。数年前、どこかの
インタビューでミスチルの桜井和寿さん(53)も
「僕も含めてMr.Childrenはテクニカルなバンドではないけども、それでも愛してもらえる音っていうのは、マネできないものだろうなと。
たまたまこうでしかありえない4人の音なんだけど、それを大事にしたいんですよね」
…風なことを語っていました。
50代・60代・70代になって、もう物理的に抗えないことを後悔したり、無理やり変えようとしたりするのではなく、そこは冷徹に
受け入れ、目の前にある
「できること」
…をひとつ一つ潰していく──そんな
「客観的在りきの開き直り」
…を経て、唯我独尊を貫く姿勢を示すことこそが、
我々大人が若い世代に向けて果たせる
最後の役割なのかもしれません。
そう! ここ“ハプバー”においても、中途半端なアンチエイジングを自身に施してみたり、
無理やり若い世代の話題や言葉尻を取り入れたりすることなく、
「おじ(い)さん
ならではの
エロティシズムに
興味を抱く女子」
…だけに釣り糸を垂らし、カウンター席で悠然と
グラス片手に構えていればいいのです…と、Gジィさんも
たった今から開き直ることにしました。
ありがとう達郎センセイ!