Vol.810 【ハプバーでも通ずる名言!】飽きないものは退屈なもの?
2002年に新潮社より上下二分冊で
刊行された村上春樹さんの長編小説
「海辺のカフカ」
…を読んでいると──上巻に、
以下のような、Gジィさんの
琴線を揺さぶってやまない、
大変に素晴らしい一文がありました。
「この世界において、退屈でないものには人はすぐ飽きるし、
飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。
僕の人生には退屈する余裕はあっても、飽きている余裕はない。
たいていの人はそのふたつを区別することができない。」
──なるほど!
「退屈でないものには
人はすぐ飽きる」
──そりゃ、マジでマジで…
「まさしく春樹センセイの
おっしゃるとおりだよなぁ…」
…と、深く感銘を受けました。
たとえば、そうですねぇ……
『サンドウィッチマン』のコント…とか?
あと、身近な行為(?)で
もっとも如実なのは…
「クンニリングス」!
──アダルト動画などでは、
なるべく見栄えがするように、
ジュルジュルと必要以上に大きな音を立てながら…
バラエティに富んだ大袈裟な動きをするものですが、
「真に気持ちがいいクンニ」
…とは、「観せる」ことを目的とした
撮影クンニリングスとは違って…
米粒ほどに小さいクリちゃんを
舌先で細かくチロチロと延々に
「地道で丁寧な反復運動」
…を繰り返す “ソレ” であり…本来は
「じつに退屈な行為」
…なんであります。でも、なぜか飽きない──
少なくともぼくは…
「ヤレ!」と言われたら…飽きずに
何十分でも何時間でもヤリ続ける自信がありますし…
実際、そんなぼくのクンニリングスを
何度も求めてくださる
リピーターも、稀に実在します。
そして、多少の “対象物” のサイズの違いこそあれ、
「フェラチオ」
…だって、同様だと思います。
もっと突き詰めて考えるなら──
「挿入時のピストン運動」
…ですら、極度の早漏でもないかぎりは
「退屈」に組みされるのかもしれません。
ぼくは常々…いや、時おりではありますが、
「クンニしながら
身を捩らせている女性や、
淡々とぼくのチ◯ポを
フェラしている女性や、
挿入時に黙々と腰を
単調に前後させている自分
(※とくにバックで挿れている時?)」
…を眺めながら──まるで
スポーツにおける地道な筋トレよろしくの
「なんで我々は
飽きずに(懲りずに)
この退屈な行為を追い求め
一喜一憂し続けているんだろう?」
…みたいな疑念が
ふと頭をよぎることがありました。
しかし、村上春樹さんが教えてくださったのです!
「飽きないものは
だいたいにおいて
退屈なものだ」
…と。さらには
「たいていの人は
『飽きる』と『退屈』
──そのふたつを
区別することができない」
…とも。センセイのおかげで、
ぼくはようやく気づくことができました!
とどのつまりが
そーいうことでよろしい…んですよね?
センセイっ!!
ちょっとだけ違うような気もするけど…(笑)??
以上!!!