Vol.18 「不倫」について(前編)
昨今、加速度を増しつつある「著名人の不倫ラッシュ」(※2016年1月のベッキー騒動以降、テレビの不倫報道は6倍に増えたという統計結果もあるらしい)の比較的新しい疑惑案件のコメント欄をざっと眺めてみると、
「人として最低」
「奥さんが可哀相」
「やられた側の身になってみろ」
「不倫の結末に幸せはない」
「不倫肯定するのは総じてクズの匂いがする」
…ほか、激しい文言のバッシングの声が目立ちます。
単に「激しい」から目立つだけなのかもしれないし、そもそもネットニュースのコメント欄なんてえのは、擁護派よりも否定派のほうが嬉々として書き込む傾向が強いツールであり、すでにネット界では半ば“常識”となりつつある「炎上の主犯格は5人以下」という定説に沿えば、不倫を忌み嫌う“精鋭”の少数極右(不倫否定派が「右」なのか「左」なのかはよくわかりませんがw)による“仕事”だという邪(よこしま)な推測も成り立たなくはありません。いずれにせよ、こういうヒトたちは「自分だけは絶対に不倫をしない」と断言できる、どういう根拠なのかは知る由もない、確信めいた自信があるのでしょう。
こうしたなか、「炎上屋」としてならす漫才コンビ『キングコング』の西野亮廣さんが数年前、ちまたを騒がせる不倫バッシングの嵐に向け、以下のようなコメントを自身のブログで発信しておりました。
「関係ないのに他人の不倫批判する馬鹿な糞ブス。他人の家パトロール楽しいですか?」
「本当に理解できないのが、自分とは何の関係もない他人の浮気や不倫に対して、声を荒げて怒る人の心理だ」
「怒ってしまう人に、どんな被害があったのかな?」
至極、真っ当な意見ですよね? 不倫自体に関しては肯定も否定もしていませんが、「赤の他人の色恋沙汰なんだから、どっちが悪いかなんてジャッジを勝手に下さず、放っといてあげましょうよ」という“大人のスタンス”を感じ取ることができます。
デジタル大辞泉によれば、「不倫」とは
「道徳にはずれること。特に、男女関係で、人の道に背くこと」
…とありました。現代社会の婚姻制度から鑑みると「不倫はやってはいけない行為=悪」であることに間違いはありません。が、「やっちゃあいけないとわかってはいても、ついついやってしまう不貞行為」であることも間違いはない。どんなに清廉潔白な性格の(既婚)男女でも、数秒後に不倫のきっかけとなる出会いに遭遇する可能性は、コンマ数%とは言え、かならず持ちあわせているのですから…。
したがって、本来なら不倫とは「してしまったからには陰でコソコソすべき」なのです。だから、不倫肯定派の意見は基本、表になかなか出てきません。実際、ハプバーでも妻や夫がいるヒトは少なからず実在するでしょうし、そういうヒトたちが所かまわず不用心にそこであった“武勇伝”を吹聴しまくっているとも思えません。“現役”の彼ら彼女らは、経験者のみが書き込みを許される「不倫同好会」みたいに密室的かつ排他的なコミュニティーを地下に潜って結成ながら同士を募り、後ろ向きな男女の営みへの罪の意識に苛まれつつも、「パートナーに不自然さを感じさせない振る舞い方」だとか「ラブホに入ったときの料金の割り方」だとか…と、少しでも前向きな情報を交換し合っているのです。そして、そのノウハウは切実なだけあってか、じつに理にかなっています。次回はそこらへんの“禁断のマニュアル”を、チョッピリ紹介してみましょう。