Vol.59 80年代の日本三大聖(性)地(前編)
今日は“ハプバー”とはほぼ関係ないお話をしてみます(これまでも“ハプバー”と無関係な話はわりとしてきたのですがw)。
長引く新型コロナショックの影響で、去年今年…は、“旅行”とはまったく無縁な生活を余儀なくされた人も多いと推測されますが、「夏のリゾート」とくれば…海なら「沖縄」、森なら「軽井沢」、街中なら「恵比寿横丁」(←ちょっと古いw?)あたりが定番の人気スポット…だったのではないでしょうか。
しかし! 30年以上も前、バブル前夜を駆け抜けた、若かりしころの我々世代にとっての憧れの「三大summer聖(性)地」とは、間違いなく
「与論島」「清里」「新島」
…でありました。
「海」の与論島は、鹿児島県に属してはいるものの、奄美群島のなかではもっとも沖縄県に近い、面積約20平方キロメートルの島であり、60年代には「日本最南端の楽園」「日本のハワイ、もしくはグアム」などの宣伝文句が売りとなり、多くの観光客が訪れたといいます。
しかし、1972年に沖縄がアメリカから返還されると、沖縄県内の観光開発が本格化。また、石垣島に航空機が就航したころから、与論島は「南の最果て」としてのお株を奪われ、客足も遠のいていきました。こうした状況に対応し、与論島では官民一体となるさまざまな観光振興への取り組みが成され、その一つが「若者客へのアピール」であったのです。
お土産のペナントはポップにデザインされ、いかにも10~20代の男女が喜びそうなトロピカルスタイルのショップや飲食店、そして「スカイラブ」「エデン」「サザンクロス」といったディスコが建ち並び、やがて島内のオンシーズンは「海に囲まれた東京」と化していきます。
交通手段は、飛行機で那覇もしくは鹿児島に行き、そこからフェリーが一般的。長時間閉じ込められた船内で(那覇から約5時間、鹿児島からだと約20時間)、早くも数組のニューカップルができあがっていたそう…。そんななか、利害が一致するウィンウィンの関係で暗躍したのが「学生ツアー」でした。
読んで字のごとく「学生が主催するツアー」のことですが、しょせん半素人でしかないツアースタッフは、平気で片っ端から女性客に手を出し、男女の諍いやトラブルも続出だった…とも聞きます。
いっぽう、ツアー内では絶対的な権力者であったスタッフとのアバンチュールを、女性側も秘かに期待していたフシも見られ、こうした酒池肉林状態を夢見るギラギラの大学生が仕切る有象無象の「与論ツアー」は雨後の竹の子のごとく誕生したのでありました。
※後編へ続く