Vol.60 80年代の日本三大聖(性)地(後編)
対する「森」の清里は、山梨県北杜市周辺に広がる高原地帯のことです。
八ヶ岳の南東麓にあって、避暑地としてだけではなく、スキーや登山にも便利な観光地で、70年代後半ごろから『an・an』や『non-no』に代表される女性誌が大々的にフィーチャリングしたことにより、いわゆる「アンノン族」が大挙して押し寄せ、空前の「清里ブーム」が巻き起こりました。
「高原の原宿」とも呼ばれていた80年代の清里を、いくつかのキーワードで表現するならば
「ふぁんし~(ファンシー)」
「めるひぇん(メルヘン)」
「デコラティブ」
「過剰」
…といったところでしょうか。けばけばしいカラーリングに彩られた、キッチュなフォルムのショップ(タレントショップもたくさんあった)や、平仮名のネーミングも厭わないペンションが乱立し、そこは「原宿」というより、まるで「ディ◯ニーランド」の世界──巨大なミルクポットだとか水玉模様の(毒)キノコ風の店舗エントランスなど正常な人間の平衡感覚を狂わせかねない奇異なオブジェが目白押しで、現在はそのほとんどが廃墟と化しています。
こうした「わかりやすくキャッチー」な、夏でも涼しいトレンドスポットに熱い視線を注いだのが、当時、爆発的な勢いで増殖していたテニスサークルであります。かわいらしいペンションに宿泊し、3時間くらい適当にテニスをこなして、膨大な“自由時間”中に清里のファンシー&メルヘンを散策する…。さらにはサークル内で愛を育んできたカップルが夜、そっと部屋から抜け出して、プラネタリウムのようなお星さまを眺めながら××(「チョメチョメ」と読む)…。
あのころのテニスサークルにとって「清里合宿」の看板は、まさにテッパンのキラーコンテンツであり、はっきり言ってしまえば「テニスの上手い下手」より「何十人もの会員を引き連れて、女子受けするペンションをリザーブし、清里を満喫し尽くせるタイムテーブルを組めるだけの企画力」こそが、サークルの明暗を分けるセールスポイントであったのです。
そして、与論島に行く経済力がなく、サークルにも入り損ねたバブル前夜のサッドな大学生たちが目指したのは、東京からは比較的身近な伊豆諸島に属する新島でした。別名「ナンパ島」とも呼ばれ、どういう経緯でそうなったのかは定かじゃありませんが、当時は「処女捨て島」なんて異名さえ轟き、
「朝方、新島の海が処女の血で赤く染まった」
「大量のコンドームが白波に揺れている」
…ほか、怪しい伝説の数々が、遊びたい盛りな若者たちの平常心を大いに掻き乱したのであります。
その後、これらの三大聖(性)地はバブル崩壊とともに、フェードアウトしていったわけですが、21世紀に入ってからは「観光客で混雑しなさそうな穴場スポット」として徐々に復興の兆しを見せていとも聞きます。