Vol.190 テニサー全盛時代の想い出(前編)
異性との交流試合が三度のメシより大好物であるに違いない、“ハプバー”マニアなレディース&ジェントルマンの皆さまは
「テニサー」に所属したことがありますか?
「大学のころはテニサーで
ガンガン女子(あるいは男子)を
ナンパしまくって、
もうヤリまくりっすよ!」
…というアナタ。良かったですね。
その美しく輝かしい想い出を糧に、これからの“ハプバー”活動にも応用するなり、老いに抗いつつも残りの長い人生を静かに受け入れて過ごしていくなりしてください。
「あんなミーハーなだけの
団体に所属するくらいなら、
出家したほうがマシ!」
…と斜め目線で全否定していたアナタ。それもまた青春。
その黒歴史的な忌々しい想い出を逆境として、その鬱々とした情熱をこれからの“ハプバー”活動に思いっきしぶつけるなりしてください。
ちなみに、ぼくは大学に入学してから…それなりに大きなテニサーに所属し、それなりに女子との親交を深めてもいた、いわば多数派の一人です。
そして、いまだ大学生の間ではそこそこ安定した人気をキープし続けている(らしい)「テニサー」ですが、80年代初頭あたりの
「テニスサークル」は、今とは比べものにならないほどアツく、まさに「猫も杓子も」状態の大ブームなのでした。
テニスサークルとは、読んで字のごとく
「テニスに興じるサークル」
…のことであります。
「体育会」ではなく「同好会」ゆえ、
「あまりテニスを一所懸命やりすぎない」
…のが暗黙の了解とされており、あのころは
「テニス同好会」と呼ばれることのほうが多く、「テニサー」なる略称も、たぶんなかったと記憶します。
「大学公認で、入会できるのは学内生のみ。しかもテニスの腕前は体育会クラス」という硬派めなサークルから、「インカレ(=どこの大学に通っているかを不問とすること)を謳いつつほかの女子大・短大から積極的にメンバーを集い、主な活動内容は飲み会。テニスは月に一度ほどたしなむだけ」というド軟派なサークルまで…
「テニス:遊び」の比率こそさまざまでしたが、
「遊び」が「ゼロ」になることだけは絶対にあり得なかった。
開き直って「オールシーズンスポーツ」(※野球、サッカー、ラグビー、陸上競技、格闘技とかは「オール」に含まれなかった)などと、あえてメイン種目を曖昧に濁すサークルが出はじめたのも、ちょうどこのころです。
すでに「バブルへの予兆」が肌感としてひしひしと伝わってくる、しかも日本中が「終身雇用」を微塵とも疑っていなかった、ある意味では牧歌的な時代でした。ほとんどの大学生にとって、過酷な受験戦争をかいくぐって勝ち得た4年間は
「なるべく大きな企業に
入社して一生働き続ける」
…までのつかの間の休息期間であり、おそらく
「戦後史上、大学生がもっとも
学業をおろそかにしていた世代」
…なのではないでしょうか。また、そんな安穏とした
モラトリアムを、泥臭くないかたちでフワッと埋めてくれたのがテニスサークルだったのです。
(※次回に続く)