Vol.191 テニサー全盛時代の想い出(後編)
80年代初頭あたりの大学生にとって「なるべく大きな企業に入社して一生働き続ける」までのつかの間のモラトリアム期間を、泥臭くないかたちでフワッと埋める役割を果たしていた…とされる「テニサー」は、一説によると、当時は有象無象をあわせれば、
「一大学に軽く
200や300もの団体があった」
…と聞きます。
まるで「CIA」や「KGB」のごとくつっけんどんなアルファベッド羅列系や、「テニス友の会」的な直球&親近感系、「くりにゃんく~る」みたいなペンション系、
「湘南庭球會」風な暴走族系まで…入学式には百花繚乱のサークル名が掲載されたビラが門前で巻かれ、それを手にした中学・高校と脇目もふらずガリ勉あるいは部活に勤しんできた
ウブな新入生たちは、洒落た洋服を買い、髪を伸ばして
心機一転を図り、各々(おのおの)の個性と
希望する遊び比率にフィットするサークルの門を夢見がちに叩いていたものです。
男子の目的はもちろん、スコート姿でピチピチの太ももをさらけ出しながら、コート内を飛び跳ねる女子大生。いっぽうの女子側も
「いろんなデートスポットに
クルマで連れていってくれる
爽やかな男子先輩」
…狙いだったのはいうまでもありません。もちろん、昨今のテニサーではよく見かけるTシャツ&スウェットなんてコーデは論外!
男女ともがお揃いのサークルジャンパーをアウターに、単なる練習のときですら「タッキーニ」「エレッセ」「フィラ」…といった人気ブランドのマークが胸についたテニスウェアでフル武装
しておりました。
本来は副産物でしかないはずの、例えるなら
テニスシーン抜きの
『エースをねらえ』
…のようにプラトニックでスクエアな「サークル内恋愛」へと、学生生活大半の熱量を脳天気に注いでいたのです。まあ当然のこと、ヤルことはきちんとヤッていたんですけどねw。
強引な理由づけで頻繁に開催されるコンパに、
夏のテニス合宿&たまにサーフィン、冬はスキー(※この時代、スノボはまだなかった)ほか諸々、イベントも盛りだくさん!
そこで誕生したカップルはサークル内で羨望の眼差しをほしいままとし、卒業後に結婚まで至った日には「神」扱い!!
そして、誰もがそのささやかなゴールを目指し、資金繰りのために授業をサボってバイト三昧の日々を過ごしていた…。
「学生の本分」を問われてしまえば元も子もありませんけど、そんなつかみどころのない「広く浅く」の
グローバリズムを信条とするテニサーにのめり込み、とりとめのない充実に忙殺されていたのが、バブル前夜に生きた大学生のスタンダードであったのです。
ただ、就活で「テニスサークル所属」という経歴が
なんの役にも立たなかった
…のは、いくら好景気だったとはいえ、昔も同様だった気がします(笑)。