Vol.204 シチューに白米?
シチューの中にご飯を
入れるのは
アリなのかナシなのか?
──そんな議論がSNS上でにわか盛り上がっているようです。
きっかけは、とある女性による
「わたしはシチューにごはんを入れて食べるのが好きなんだけど、それしたら昔付き合ってた人に『…育ちがわかるな』って言われてめちゃくちゃいやだった」
…とのツイートで、その後、同投稿には
「人それぞれ。わざわざ言わなくても良いんじゃないかな?」
「カレーはいいのにシチューがダメな理由を知りたい」
「シチューオンライスって商品もあるし、遠藤憲一さんがCMしていて人気ですよね」
「もともとクリームシチューは日本で誕生したもので、戦後の食糧難のなか子供のカルシウム不足を補うためのレシピだったそうです。ご飯と食べるのは別に問題ないですよね」
…ほか、彼女を擁護するコメントを中心に、16万件以上のリプライが届いた…のだそう。
ちなみに、ぼくは、液体もしくは半液体状(=ジェル状?)の「甘くない食べ物」があれば、クリームシチューはもちろんのこと、ビーフシチューだろうが味噌汁だろうがおすましだろうがポトフだろうがボルシチだろうが鍋やおでんやラーメンの残り汁だろうが…とにかくなんでもかんでも白米をブチ込まなければ気が済まないタチの人間だったりします。
「お行儀が悪い!」
…と言われてしまえば、まさにおっしゃるとおり…ではあるんですけど、昨今の世の中には
「おじや」
「リゾット」
「お茶漬け」
…といった便利な言葉もあるので、すべてをそのどれかに無理やりカテゴライズして、自分を納得させております(笑)。
クリームシチューだったら「クリームリゾット」
ポトフやボルシチだったら「洋風おじや」
おでんの残り汁なら「おでん茶漬け」
…みたいな?
ただ、ぼくが小学生のころ、当時同居していた祖父が、ごはんの上に湯豆腐とその残り汁と醤油ダレをかけてから、お箸でぐちゃぐちゃにして食べていたのをよく見かけましたが、正直なところ、そのビジュアルだけはちょっと気持ち悪くて嫌でした。
いや、
「コレ絶対うまいやつ〜♪」
…なのは幼心にも理屈じゃわかっていたし、今から考えるとおじいちゃんはすでに歯がほとんどなかったので、健康上の理由でもこう食べるしかなかったのかもしれません。が、あのころは、どうしても生理的に受け入れることができなかったんです。
今回の「シチューにご飯を入れるのはナシかアリか」論争(※この「シチュー」がクリームシチューなのかビーフシチューなのかは案外重要なポイントだと思うのですが)に寄せられた大半の擁護コメントのなかには
「(夫から)
『ご飯に牛乳かけとるみたいで汚い』
と注意された」
…という意見がひっそりと混じっていたとも聞きます。そう!
納豆が大の苦手なぼくがいまだ「ご飯に納豆をかけて食べる」光景を目の当たりにするのがじつはキツイのと同様、他人の“食べ方”に対して抱いてしまう「気持ち悪い」「汚い」といった感情は、なかなか修正することができないのです。
冒頭で紹介した投稿者ご本人は、直撃取材を受け、
「育った環境を否定された気分になり、一週間後くらいにはその彼氏と別れてしまった」
……と言います。たしかに「育ちがわかるな」という
無神経なセリフは暴言以外の何物でもない。何様? (クリーム)シチューにご飯を入れたら「育ちが悪い」のか? じゃあ、フランスパンでも浸して食えばセレブなのか? 日本で誕生したメニューなのに!? 反論は十でも百でも思いつく……。
だけど、こうしたカップル間の食に対する倫理観の違いを
「瑣末な問題」のひと言で片付けて、解決を先延ばしにしてしまうのも、それはそれで後々にトラブルの火種となるような気もしなくはありません。
たとえば、ぼくだったら、とりあえずは早い段階で
「ごめん! ボク…
納豆だけはダメなのよ」
…と、相手に宣言しておくことが大事なのではないでしょうか。ここ“ハプバー”だと、
「ごめん! ボク…
流血系(のプレイ)だけはダメなのよ」
…と。宣言さえ済ませておけば、その後
「相手が食べているくらいは我慢できるよう私が頑張る」
「私の前ではなるべく納豆を食べないように相手が配慮する」
「納豆がメニューに出てきたら別席で食事する」
「私が納豆好きになるよう相手がスパルタ教育を施す」
…と、“ハプバー”の例では
「じゃあ、他の男を当たるわ…」
…と、いろいろな新しい選択肢が生まれてくるのですから。
あと、コイツはあくまで個人的な先入観でしかないのですが、「シチューのなかにご飯を入れるのがナシ」という几帳面なヒトは、あんまし“ハプバー”には向いていない気もしなくはありません?