Vol.272 喫煙について
「writer」を職業とする鈴木涼美さんという女性が、
とあるWeb媒体で
「喫煙」
をテーマとするインタビューに応えておりました。
ぼくは前々からこの鈴木涼美さんが書く一連の読み物をわりとマメにチェックしていました。その一見素っ気無い文体から提唱される、さまざまな事象に対するスタンスが、なんともぼく好みなのであります。そして、同記事中にあった鈴木さんの、女性喫煙者の視点から展開する「喫煙論」に、紙たばこをいまだ(?)愛用する「マイノリティー」の一人でもあるぼくは、猛烈な共感をおぼえました。
「感動した!」といっても過言ではないでしょう。
「たばこの煙やにおいがイヤだ…
という人の前では吸わない分煙家」
…だという、また、かつては嫌煙家の男性とも付き合った経験があるという鈴木さんはこう語ります。
「私の友人でも、健康だけではなく、“モテ”に重きを置くとみんな(たばこを)やめていきます(笑)。たしかにやめたほうが、モテのパイは広がるでしょう。だけど私は“思想”を押し付けてくる人がイヤなんです」
(中略)「においや煙以上に、たばこを吸っていること自体が許せないという男性だったんです。彼が吸う吸わないはもちろん彼の思想だし、たばこのにおいが嫌だとか家や車で吸われるのが嫌だと感じるのはもちろん彼の自由ですが、たばこを吸う女性自体に嫌悪感があるのは一つの“思想”であって、それを私に共有しろという圧力は嫌でした。許せないのであればどうして私と付き合ったのか。おそらく懐柔できると思ったのでしょうが、一方向の正しさを押し付けてこられるのは苦手です」
たしかに、ぼくも仕事場代わりとして週に8回は利用している
『喫茶室ル◯アール』で、店員さんが入店客に
「ウチは全席喫煙ですが
大丈夫でしょうか?」
…とお断りを入れた際、
「イマドキありえなくない!?」
…などと、文句を垂れながら踵(きびす)を返すヒトたちを見て、
「アンタの価値観だけで
モノ語ってんじゃねえよ!」
…と(内心で)ついイラッとしてしまいます。ちょっと例えとしてズレてます(笑)? いや、全然ズレてないですよね?
で、とくに
「許せないのであれば
どうして私と付き合ったのか」
このくだりは、じつに重要なポイントだと思いました。
コンプライアンス的な事情で「ヘイト=悪」という空気が実社会上を支配しつつあるなか、喫煙は「人の健康を害する可能性がある」という大義名分から、大っぴらに批判できる数少ない対象と見なされています。
…とも鈴木さんは指摘しますが、そんな最強の「大義名分」を印籠とし、嫌煙家の方々はスモーカーを「懐柔できる」…もっと強い表現に変えれば
「懐柔すべき!」
…と、一種の義務感にも近い使命を抱くのではないでしょうか。
ぼくも、どちらかといえば「モテに重きを置く」ほうの人間ゆえ、咥えて…いや、加えて草野球でも最近は二塁まで走っただけで小便をチビりそうなくらいに息切れしてしまいがちなので、できれば
たばこはやめたい
…と常々考えています。そう「懐柔」してくる、あるいは
「(せめてもの)加熱式たばこへの転向」(※←案外コッチのほうが多数派?)をチームメイトも増えてきました。
食事や飲みの席でたばこを吸わないことにはもう慣れつつあります。むしろ、嫌煙家同様「料理の香りがたばこの煙で台無しになるのはキツい」とすら感じるくらいです。もちろん、喫煙所以外でたばこは吸わないし、ポイ捨てもしないし、基本的に非喫煙者の家でも喫煙は遠慮しますし、ここ“ハプバー”でも、お目当ての女性がたばこ嫌いなら、ぼくも絶対に吸いません。“ハプバー”で「モテに重きを置かないヒト」──嫌煙家に喫煙者の主張を必死でしちゃうようなヒトは単なるアホだと思います。
しかし、ここまで肩身の狭いおもいをしながらも、やはり仕事中
だけは「禁煙」できないのです。もし仮に、自分のパートナーが「喫煙者であるぼく」自体のことを、かなり強硬な姿勢で嫌煙家へと懐柔しようとしてきたら…現時点だと、ぼくはそのヒトのことがどんなに好きでも、やはり別れるしかないでしょう。だって、たばこをやめれば、途端にぼくは無職になってしまうのですから…。