Vol.394 「モテないおじさん」の3原則(後編)
過去に公立中学校の教壇に立つ、知人の既婚男性教師(42)から…こんな相談を受けたことがあります。
妻子がいますが、高校時代の同窓会で再会した女性と後日
食事に行って、酔いのせいもあったのか、
深い関係になってしまいました。
それ以降、私はその女性のことを忘れることができません。
私は、もし彼女と一緒になれるなら
最悪、家庭を捨ててもかまわないとすら思っているのですが、
あんなにあの夜は愛し合ったのに、
彼女のほうは反応がイマイチで、
私の誘いをやんわり避けているフシも見られます。
こんな私は、やはり間違っているのでしょうか?
一夜かぎりの火遊びとして諦めたほうがいいのでしょうか?
う〜〜〜ん…「間違っている」とまでは言いませんけど……ねぇ???
…ってなわけで、今日は
「モテないおじさんに
顕著に見られがちな共通点」
…の最後の三つ目とされている
「見返りを求めすぎ」
…について、その詳細を解説してみましょう。
相手に対して見返り求めすぎているきらいは指摘せざるを得ません。
「見返りを求めすぎ」──Gジィさんは、コレこそが
モテないおじさんの
一番やっかいな典型例
…だと考えています。
「若い男子だって、
求愛する相手に
それなりの
見返りは求めるでしょ?」
…といった反論はあるかもしれません。ただ、求めてはいるんだけど、その切迫感に大きな違いがあるんです。
40代や50代、60代の中高年世代は、恋愛したらどうしても
「このヒトしかいない!」
「この出会いを逃したら次がない!」
「今回がラストチャンス!」
…と、自分を追い込む
「メンタルブロック」
…が働いてしまう。
「次の試合はない」
…と勝手に思い込んでしまう。けれど、
「もうおじさんだから…」
…という、自己へのレッテル張りは絶対に禁物。
まだ若ければ、仮にフラれても
「もっとオレに
相応しい素敵なヒトが
いるんじゃないか!?」
…と、自然にリセットできますから。そして、こういった若者のポジティブマインドは、何歳になっても素直に見習うべきではないでしょうか。
相手への過度な期待・依存は
突き詰めれば「洗脳」と同じ
恋に落ちたおじさん特有の切迫感を
「火事場のバカ力」
…と見なす解釈もありますが、それって残念ながら、たいがいは
空回りのかたちで終わってしまうのがオチ。
火事場的なシチュエーションで、湧いてきた腕力で女性を持ち帰ることができても、それは下手すりゃ犯罪ですし…(笑)。
なので、ここ“ハプバー”も同様、男女の色恋に関しては
「無償の愛」
…を貫き通すのが何よりも大事。
人はやさしくすればするほど
やさしさが返ってくる
…のです。
「全然自分には返ってきません!
やさしくすればするほど
カモになる…」
…なんてことは言わないでください。
「カモ」
…という言葉が出てくる時点で見返りを求めています。ぼくは、ほんの少しのさり気ない一言でも、やさしさが返ってきたら、その女性に感謝します。
そもそも男女の色恋沙汰において
「相手の気持ちをどうにかしたい」
…と望むこと自体が傲慢なんですよ。
見方を変えれば
「相手に期待しすぎ
依存しすぎ!」
…なんです。人間性の面からみてもおこがましい!
だって、人のメンタルを操作するのは、極論すると
「洗脳」
…と同じですから。
相手に過度な期待を寄せず、とりあえずは
「自分のやれることから
きちんとやる」
…という姿勢を持ちましょう。それがイコール
「見返りを求めない男」
…への第一歩。相手の出方ばかりを気にしていたら、
ストレスも溜まるいっぽうですしね。
そりゃあ、我々おっさんがすぐ
「都合のイイおっさんとして
利用されているだけ…?」
…と被害妄想的な疑心暗鬼に苛まれ、
よけいに焦って
見返りを求めてしまう
…その心情は痛いほど理解できます。
しかし、私の知人である「モテ男」の名を欲しいままとする
某アパレル会社の社長さんも
「モテる秘訣は?」
…と問えば、
「無償の愛です!」
…と、即答なさっておりました。
LINEのやりとりに例えると…ぼくもスマホデビューしたばかりのころは、意中の女性からのLINEの文体や、文章量の長短、スタンプ・絵文字・顔文字の比率、届くタイミングなどに
一喜一憂してました。
けれど、(ようやく)2〜3年前あたりから、たとえ相手から
「了解」
「だね」
「うんうん」
…ほかの…いかにも手抜きな返信や、
「ありがとう」
…と一言で話が完結してしまう返信が丸一日後に来ても、あえて気にしないように努めるよう心がけてきました。そして、気にしないように努め続けていると、本当にあまり気にならなくなってきました。
「ああ、こーいうヒトもいるよな…」
…と。
男女問わず、意中の彼女や彼からのLINEの返信に、敏感な反応を示す傾向の強い人たちは、やはり
「他人に期待しすぎ」
…なのではないでしょうか。
申すまでもなく、LINEとは
「ビジュアル化された
言葉のキャッチボール」
…であり、当然のこと相手がいなければ成立しません。
さらに、キャッチボールの相手には、球の速いヤツもいるし、山なりの球しか投げられないヤツもいるし、投げた球をすぐ後ろにそらすヤツもいるし、投げるごとに球をコネコネ持ち替えなかなか投げてこないヤツもいます。
「胸元にズバッとくる
ストライクを
投げてくれるケース」
…のほうが、むしろ稀でしょう。
せっかくオレが、アタシが精一杯の想いを込め、考えに考え抜いた
渾身の長文LINEを送ったのに、返信は
「きのうはどうもでした
またさそってね」
…だけかいっ! そんな風に毒づきたくなる気持ちはわからなくもありません。
が、いくら相手がアナタにそれなりの好意を抱いていようとも、渾身のLOVE LINEに対し、
同じ体裁と熱量の
LINEを返して
くれるとはかぎらない
──それは相手の
性格と生活環境から
培われてきた
条件反射に近い
「習性」のようなもの
…ゆえ、それを今さら
「変えてくれ!」
…とせがむ、期待するのは…もう一度繰り返しますが、
「傲慢以外の
何物のでもない!」
…のです。