Vol.488 バカ論
とある一流私立大学の教授が、去年の東京オリンピック
開催中に、自身のツイッターで
「スポーツしかできないバカって本当に世界的にこんなにゴロゴロいるんだね。医療崩壊目前にしてオリンピックやらんだろ」
…と投稿し、プチ炎上しちゃった騒動を、親愛なる『アプリーアブル』ユーザーの皆さまは覚えておられますでしょうか?
そして、あのときはたしか、社会学者の古市憲寿さんが、前出の物言いに対し、某週刊誌の自身の連載で
仮にスポーツ選手が「スポーツしかできないバカ」なら、大学教授は「研究しかできなバカ」だ。だが、それで構わない。哲学者プラトンがレスラーとしても名を馳せていたように例外も多いが、プロは本業以外バカでもいいのだ。
(中略)だが気になるのは、◯◯さん(※註:←前出の「とある一流私立大学の教授」)がスポーツ選手をいとも簡単に「バカ」と断じていることだ。その理屈が通るなら、「大学なんて研究しかできないバカの集まりだ。廃止してしまえ」と言われても仕方ない。
…みたいな反証法によって、その発言をチクリ攻撃していた…と、ぼくはうっすら記憶しております。
「バカ」
…というワードを完全に
「誹謗中傷目的の
揶揄的な意味合い」
…で使用するのなら、古市さんの「皮肉」はまったくもっての
正論であり、このディベートをジャッジするネット住民の大半は
古市さん側に
「一本!」
…の旗を上げることでしょう。
さらに、この「バカ」を、もし
「求道者」
…的な、一種のリスペクトの念を含むニュアンスで解釈するならば…これはこれで
「才能たるものの本質」
…を示唆する、なかなかに味わい深い形容だとも言えなくはありません。
五輪アスリートにせよプロ野球選手にせよ大学教授にせよ、スポーツや学問ほかの分野の頂点に立つスペシャリストとは、誰もが例外なく、紛れもない
「天才」
…だとGジィさんは思います。
また同時に「天才」ってやつは
「なにかの能力に
著しく優れている」
…というよりは
「なにかの能力が
著しく欠落している」
…ものだとも思うのです。
常人が普通に兼ね備えている能力が欠落しているがゆえ、一つのことをとことんまで突き詰めることができるから、結果としてその能力が突出してしまう…。
なんでもかんでもそこそこに(=「並の下」くらいに)こなせてしまう(と、約60年間の半生を振り返りながら自己診断を下している)ぼくは、だからなにかにおいて突出ができなかった。できなかったから、そういう
「天才的な欠落性」
…を持つスペシャリストに、いまだ憧れの念を抱いてしまうのです。
そう! 古市さんが申すとおり
「プロは本業以外バカでもいい」
──ぼくはそんなバカになりたい。たとえば、仕事では上司に叱られてばかりで、女子にもフラれてばっかなのに、ここ“ハプバー”に来たら、必ず「別室入り」を果たしてしまう──そんな
「ハプバーバカ」
(=「ハプバーの天才」)
…でも、仮に実在するならば…
羨ましくて羨ましくてしかたない!
ただいっぽうで、たとえば『ドカベン』の殿馬一人のように、トリッキーな打法や守備でプロ野球選手にまでなりながら、世界的な指揮者アルベルト・ギュンターに見染められるほどのピアノの腕前をも持つ
「突出した文武両道」
──古市さん曰くのプラトン的な二刀流にも
憧れてしまう…。
野球においてはすでに
「大谷翔平選手」
…というとんでもない二刀流がリアルに活躍を果たしている昨今、
「第二の殿馬」
…の出現も、夢ではないのかもしれません。
「“ハプバー”でモテまくって
仕事もバリバリできるヤツ」
…ってえのはすでにたくさんいそうですけどね(笑)?