Vol.490 ハラハラハラハラ…
かの2022年には「オリンピック・ハラスメント」──略して
「オリハラ」
…ってやつが、プチ・トレンドワードとなりました。
連日アスリートたちによる熱戦が繰り広げられていた東京五輪──コロナ禍の影響によって開幕前はIOCや政府による
強行突破を非難する声が大半だったのに…いざヤッて
しまうと、一転して大いなる盛り上がりのなか終幕を迎えたものですが、いっぽうでは
「五輪やスポーツに興味がない層」
…も当然のことながら少なからず実在するわけで、そんな「五輪とは距離を置きたい派」が「五輪を観てないなんて信じられない派」に対し
「感動の押し付けはうんざり」
「職場で非国民扱いされる」
…などと異を唱える格好で生まれた造語であります。
当時、Gジィさんのまわりでは、そこまで
「オリンピックについて
熱く語りまくっては
悦に入る輩(やから)」
…は(たぶん?)一人もおらず、せいぜい
「13歳のスノボの子、可愛かったよね」
「ニシコリのダブルスって珍しいよね」
「(野球の)サカモトって
阪神ファンからしたら
憎らしいけど、
味方につけたら
やっぱ頼りになるよね」
…程度の一言二言で話題が終わってしまうケースが大半で、まあ
「積極的に
観戦したいとも
距離を置こうとも
思わない中間派」
…に属するGジィさんとしては、去年の五輪開催期間中も比較的
穏やかな日々を過ごしことができたわけですが、おそらくいるところにはけっこういるんでしょうね〜〜〜。
「盛り上がって当然!」
…と言わんばかりに
「同調圧力」
…という名のアツを無自覚に他人へとかけてくるタイプの
ヒトたちって…。
そんなさなか、作家の乙武洋匡さんが自身のツイッターで、この
「オリハラ」
…について、うろおぼえなのですが…以下のようなニュアンスの私見を述べていた記憶があります。
「何でも『ハラスメント』と表現してしまうと、本当に根絶しなければならないセクハラやパワハラの存在が軽んじられてしまうのではと危惧しています」
そして、ぼくも
「まったくもって
そのとおりだ!」
…と、乙武さんが抱く「危惧」に激しく同意しました。激しく同意したがゆえ、過去にここのブログでも、“ハプバー”とはほぼ
無関係なテーマであるにもかかわらず、
「TELハラ」(=テレフォン・ハラスメント)
「エンハラ」(=エンジョイ・ハラスメント)
…etc.と、新しい
「◯◯ハラ」
…が世に流通する(兆しが見える)ごとに、それを戒めるコラムを執拗に寄稿してきました。これからもたぶん事あるごとに書き続けていくことでしょう。
「無関係」
…なのに…(笑)。
「新入社員が先輩より先に電話を取らなければいけない」という
暗黙の了解を強いられる「TELハラ」に、「もっと仕事を楽しまなきゃ!」みたいなポジティブシンキングを上司から促される「エンハラ」…そりゃあ、うっとおしいのはよく理解できます。
でも、正直それくらいは我慢できるでしょーが!?
もちろん「なんでオリンピックで感動できないわけ?」と、1ミリの疑問も抱かずに他人を問い正すことができる無神経さも全然
「我慢が可能」
…な範疇内だと、ぼくは思います。
これらの「うっとおしい」レベルの言動に、なんでもかんでもいちいち
「〜ハラ」付け
…していたら、場合によれば本当に人を社会復帰ができないギリギリの瀬戸際まで追い詰める深刻な「ハラスメント」までもが
カジュアルな響きを含んでしまいます。
逆に申せば、「パワハラ」とか「セクハラ」というの言葉が軽すぎるという考え方もあります。
「組織内恫喝」
「卑猥行為」
…なんて風に、内容と程度次第では犯罪に当たるとわかる
「仰々しい漢字言葉」
…のほうがいいのではないでしょうか。
ところで、東京五輪後にも「サッカーW杯」や「WBC」が大々的かつ華々しく開催されておりますが、なぜこれらには「〜ハラ」がつく造語が生まれなかったのかは、
不思議なところです。
「長友佑都選手のブラボーが
キャッチーすぎた」
「大谷翔平選手が全国民に
愛されすぎている」
…ほか、さまざまな推測ははくもないのですが、ぼくは単純に
「オリハラ」ほど語呂の良い造語を生み出すのが
むずかしかっただけなのでは…とにらんでいます。
「サカハラ」?
「ワーハラ」?
「ヤキュハラ」?
「ダブハラ」?
…どれもイマイチピンときませんからねぇ〜(笑)。
けれど、今年間もなく開催される「バスケW杯」や
「ラグビーW杯」は…(結果によっては)、
「バスハラ」
だとか
「ラグハラ」
…といった新しいハラスメント用語が生まれてくるやもしれません。だって、語呂がいいんですもの???
ついでに! 「ハプバーハラスメント」──略して
「ハプハラ」
…も語呂としてはなかなかに秀逸ですよね(笑)? ただ、
“ハプバー”で受けるハラスメントとは果たして…!? ぼくには全然想像がつきません。なぜなら、“ハプバー”とは入店したら最後(?)
「誰しもが肩書きなんぞに
囚われることなく
真の平等を得られる」
…稀有な空間なのですから!