Vol.217 「役に立つ知識」とは?
ちょっと前に放送された『マツコ&有吉かりそめ天国』で、タレントのマツコ・デラックスさんとお笑いタレントの有吉弘行さんが、とある視聴者からのメッセージに私見を述べていました。
「とある視聴者からのメッセージ」とは、以下のようなものでありました。
「私は小中学校の同級生のあだ名をほぼ完全に覚えています。あとは、昭和版のウルトラマンの全怪獣も言えるのですが、奥さんから『その知識なんの役に立つの?』と言われます」
これを聞いた有吉さんは、
「『その知識なんの役に立つの?』って言ってる奥さんとはもう離婚したほうがいいんじゃない?」
…と、憤慨。その有吉発言を受けたマツコさんも、
「これについては私も同意見です。役に立たないから面白いんじゃない。それを否定したらダンナの人生を否定してるのと一緒だからね」
…と、コメントしています。
これについては、(離婚まではしなくてもいいとは思うけど)ぼくも有吉さんとマツコさんとまったくの同意見!
なんでもかんでもネットで検索したら、たちまち膨大な知識を簡単に得ることができる近年(※さすがに「自分の小中学校の同級生の全あだ名」は出てこないでしょうけどw)、情報を
「役に立つ/役に立たない」
…の二択でバッサリと選別し、「役に立たない」とジャッジされた情報はどんどんと切り捨てられる、合理性のみを重視した風潮がますますとエスカレートしてきています。
たとえば、ぼくは日本史の西暦を、自分が勝手に考えた
語呂合わせでけっこう詳細に覚えており、
それこそ大学受験時には1年ごとレベルで
「1192(イイクニ)つくろう鎌倉幕府」
…みたいな風に諳んじることができました。もちろん、今だとネットで検索すれば、モノの数秒でわかることだし、おそらくもう受験する機会もないであろうにぼくとっては、
ほぼ「役に立たない知識」です。
あと、ジャズの楽曲を聴けば、ブラインドホールドの状態でも誰が叩いているか──たいがいのドラマーを当てることだってできます。これも、今では『Sound Hound』とかのアプリを使って楽曲を判別し、それをネット検索したら、正解へと辿り着くことができる。せいぜい、“ハプバー”で偶然流れていた小音量の
マイルス・デイビスを聴いて(※そんなの“ハプバー”で流れているのをほとんど聴いたことはありませんがw)、
「ああ、このドラマーは
フィリージョー(ジョーンズ)ですね」
…と、したり顔でつぶやくくらいの役にしか立ちません。いや、よほどのジャズ好きな女子じゃなければ、むしろ嫌われる可能性のほうが高いでしょう(笑)。
しかし、こういう「無駄な知識」こそが、多少大袈裟な表現をすれば
「かつて、そこそこ必死に
受験勉強やジャズドラムに
取り組んでいた自分の歴史」
…なのであって、それを否定することはマツコさんのおっしゃるとおり
「自分の人生を否定すること」
…になってしまう。
ちなみに、ぼくはここで書くコラムに関しては、
「リズムだけで一気に読破できる
一般社会ではまったく役に立たない原稿」
…を理想のゴールとしています。そもそもハプバーで役に立つ知識ってヤツは、一般社会じゃあほとんど役に立たないわけですし…ね(笑)?