Vol.334 わたしはギャル…?
ギャルタレントの「ゆきぽよ」こと木村有希さんが、とあるYouTubeチャンネルにゲスト出演し、
「ギャルのフリをして
活動するタレントは
いっぱいいます」
…といった旨の言及をなされておりました。
番組中に交わされた、共演者の「ひろゆき」こと実業家の西村博之さんとのやりとりのおおよそは、以下のとおりでありました。
ひろゆきさん「(知人男性の違法薬物使用の疑いによる“風評被害”から、活動休止を余儀なくされた件を引き合いに出し)ゆきぽよさんの場合は、警察が調べて“シロ”確定なんだから、それで仕事を止められたのはどうなのかなって」
ゆきぽよさん「代わり(のギャルタレント)がいっぱいいたんですよね。タレントって、少しでも悪いイメージが付くと、下の代のクリーンなギャルのほうが使いやすいと思うんですよ。でも、このままいくと業界のギャルが“エセギャル”になっていくとは思いますね」
ひろゆきさん「要は芸能人になりたい女の子が、ギャルっぽい格好をするけど、悪いことはしない、そっちのほうが使いやすいと。たとえば、どんな人がそういう風に思いますか?」
ゆきぽよさん「いっぱいいますけど、(実名は)言いませんよ!」
「見た目だけのギャルの子って、バカなフリしてずっと真面目なんですね。いつも後先のことばかり考えていて、ギャルのマインドである“今を楽しむ”ってことを忘れてると思いますね」
タレントさんにかぎらず、一人の若い女性を
「ギャル」と特定するのは我々素人にとって、
意外に困難な作業です。
たとえば、ゆきぽよさんのように自らを「ギャル」だと公言してくれているなら……その自己申告を鵜呑みにするか、そうじゃなければ、せいぜい『Popteen』なり『egg』なり……の、いわゆる「ギャル雑誌」の読モ出身だとかの出自から判断するしか方法はありません。
ゆえに、今回ひろゆきさんがゆきぽよさんから引き出してくれた「ギャル論」は、ぼくみたいにタレントを俎上にしてコラムのネタを書くタイプの人間にとっては、なかなかにありがたい。
とりあえずは、これら一連のゆきぽよ語録を
「正しい!」
…と見なしたうえで、そこからGジィさんなりに整理した
「ギャルの定義」
…を箇条書きにしてみましょう。
・ギャルは(ある程度)
「悪いこと」をしてなんぼ
(※「下の代のクリーンなギャルのほうが使いやすい。でも、このままいくと業界のギャルが“エセギャル”になっていくと思う」発言より)
・ホンモノのバカで
不真面目じゃなければいけない
(※「見た目だけギャルは、バカなフリしてずっと真面目」発言より)
・「今を楽しむこと」がギャルマイド
(※「“エセギャル”はいつも後先のことばかり考えていて、そのマインドを忘れてしまっている」発言より)
まあ……上から二つは、ひろゆきさんの巧みな誘導尋問に
よって、つい口を滑らせてしまった極論感も否めませんが(笑)、最後の一つである
「今を楽しむ」
…という享楽主義──エピキュリズムから生じる刹那性と
一種のニヒリズムこそが、「ギャルの本質」だと、
ぼくは思う。そして、
「後先を考えずに
目の前にある快楽に
飛びついてしまいがち」
…な性質は、(ぼくも含む)ここ“ハプバー”に足繁く通うマニアの皆さまにも通ずる部分が大きく、ゆきぽよ理論に倣うならば、とどのつまりはぼくもアナタも、れっきとした「ギャル」の一人なのかもしれません。
そう!「ギャル」とは、もはや
「外見」ではなく「思想」
…なのです。