Vol.443 故・坂本龍一さんについて - ハプニングバーagreeable アグリーアブル

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Vol.443 故・坂本龍一さんについて

これまでも“ハプバー”とまったく関係ない話はいくつも書いてきましたが、今日だけは…そんななかでも飛びっきり関係ない話を書かせていただきます。

 

故・坂本龍一さん

 

…についてです。なぜなら、ばくは坂本龍一さんを心底から敬愛しているので、このたびの訃報にはかなりのショックを受けているのです。

 

映画『ラストエンペラー』でアカデミー賞の作曲賞を受賞し、テクノミュージックバンド『イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)』のメンバーとしても名を馳せた音楽家の坂本龍一さんが3月28日、都内の病院で死去しました。

 

享年71歳──まさに

 

「芸術は長く、人生は短し」

 

…という、坂本さんの座右の銘を地でいく生き様を見せてくださった、孤高の芸術家でありました。

 

そして、Gジィさんは大学時代からジャズドラムを学んできた、ミュージシャンの端くれであります。なので、「一(いち)ミュージシャン(の端くれ)」としての視点から、今日は唯一無二の音楽家であると同時に優れたコピーライターでもあった故・坂本龍一さんの名言を、3つに厳選して、紹介してみたいと思います。

 

【1】「歌詞はまったく受け付けない(=頭にはメロディしか入ってこない)。だから、歌詞の意味は全然(自分には)必要ない」(※過去に『爆笑問題』の太田光さんと音楽について語り合ったときのコメント)

 

Gジィさん補足:「ヴォーカルもあくまで楽器の一つ」という考えのぼくとしては、「世界のサカモト」のこの後押し的発言は、とても力強く感じたものです。じつは、楽器を演奏する人に多い傾向なんですが、歌曲を聴いても、旋律やメロディや和音、リズム…などに神経が行き過ぎて、歌詞の部分が頭に残りにくいのです。それが「良い悪い」は置いておいて…個人的にぼくは歌詞が前面に出てくる、たとえば「ラップ」とかはけっこう苦手だったりします。ちなみに、ぼくが日本で一番好きなシンガーソングライターは、歌詞に深い意味が銜まれていない、心地良さのみで完結している井上陽水さんです。

 

【2】(小学5年生で、はじめて自分で買ったザ・ローリング・ストーンズの『テル・ミー』を聴いたとき)「その頃にはもうバッハを弾いたりしていましたから、ストーンズにはショックを受けましたね。『何て下手なんだ!』と。下手さがカッコいい、という衝撃ですね」(※2005年の『サンケイスポーツ』に掲載されたインタビューより)

 

Gジィさん補足:もう20年近く前のインタビューですが、この記事をたまたまリアルタイムで読んで、凄まじい天啓を受けたときのことを、私は今でも鮮烈に憶えています。それまでのぼくは、極論「手足をとにかく細かく複雑に動かせるドラマーこそがいいドラマー」──すなわち「テクニックに裏付けされた演奏だけが良質な音楽を生み出す」みたいな偏見がありました。「下手さがカッコいい」という新しい音楽との接し方を享受できたことによって、Gジィさんの音楽観は確実にいっそうの広さと深みを得たのです。

 

【3】「僕は “ながら” では絶対に音楽を聴きません」(※出典不明)

 

ゴメス補足:なんのインタビュー記事で読んだのかは忘れてしまいましたが、間違いなく坂本さんはこんなようなことをおっしゃっていました。ぼくも音楽が大好きだからこそ、ながらでは絶対に聴きません。原稿を書きながら…なんてえのはもってのほかで(※「好きな音楽」を聴きながらだと、集中できずに一文字も書くことができない)、読書中でもオネエちゃんを口説いている最中でも、理想を言えば「無音」──もしくは「最低限に抑えたボリュームで映画音楽や王道のクラシックが申し訳程度に流れている」環境が望ましいのです。いざ音楽を聴くときは

「さあ、今から音楽を聴くぞ!」と覚悟(?)を

決めてから臨みたい。かろうじて、ながらが許されるのは、「スポーツジムでランニングマシーンをやり “ながら” 」「料理をつくり “ながら” 」…くらいがせいぜいってとこでしょうか?

 

あと、これは「ミュージシャン視点」ではないんですけど、

 

「日本は美しい

三等国になればいい」

 

…という言葉も、ぼくが胸に刻み続けている名言中の名言であります。

 

最後に。かつて『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)で松本人志さんや浜田雅功さんの共演した『アホアホマン』の故・坂本龍一さん…相当に吹っ切れているので、YouTubeなどで検索してぜひ一度ご覧になってみてください。

 

心よりご冥福をお祈りします。